学習塾ミチビキ

当塾の目指すところはどこか、なぜそこを目指すか

ホームページ中では詳しく書いていませんが、noteにて当塾の目指すところについて少し説明しています。

 

ですが、「なぜそこを目指すのか」についての経緯はそこまで説明できていないので、細かい経緯はこのブログでお伝えしようと思ったところです。

 

 

当塾の存在意義について

 

「この世の中は本当に不公平だな」と思うことが、多々あります。

 

・やりたいことがあるのに障がいを持っているから無理だと諦めてしまう。

・本当は思いきり友達と遊びたいけどコミュニケーションが苦手で結局馴染めない。

・塾に通いたいけど家庭の事情で通えない。

・いじめられていて勉強や受験どころではない。

・自分の住んでいる地域には受験に関する情報が全然入ってこないので、進路選択がわからない。

 

これらは別に自分がなりたくてそうなったわけでもないのに、生まれ持ったものや生まれ育った環境によって、自分の努力では補えない程の教育格差が生じてしまっている例です。

 

私はこのような子どもたちを実際に間近で見てきましたし、その子どもたちの講師をしている中でも根本的な解決には繋がっていないのだとモヤモヤや不甲斐なさを感じていました。また、私の妹は自閉症で特に学校でのトラブルが多いのを間近で見ていたので「なんで自分はこんなに当たり前のように学校生活を送れていて妹は苦しまないといけないのか。この差は一体なんなのか。別に自分が努力して妹が努力しなかったからこうなったわけでもないのに。この世の中は不公平だ。」そんなことをずっと思っていました。

 

皆「いつ」「どこで」「誰のもとに」「どのように」「何を持って」生まれてきたのか、どう育ってきたのかは全て異なります。誰1人同じような人はいません。それは人間として生まれてきた以上必然的なものです。

 

しかし、その異なりによって受けられる教育に不公平が生じている事実があります。「教育格差」という文脈で社会問題として語られることも多いですが、まさにこれは社会問題であると思っています。

 

教育の平等化はむしろ日本という国はすごいと思います。ここまで義務教育がしっかりしていている国も珍しいです。また、教育を受ける権利は憲法26条第1項に規定されていて、国民の誰もがその権利持っています。教育の一律平等化は戦後から今までの成果と言え、一定評価されるものでしょう。

 

補足ですが、EQUALITY【平等】とEQUITY【公平】の違いです。図を見ればその違いはわかりやすいでしょう。(参考:https://shinyokan.jp/senryu-blogs/kanji/38272

EQUALITY【平等】とEQUITY【公平】

現在の日本の教育に必要なものは「平等化」の次に「公平化」です。上記の図で言えば、生まれ持ったものや生まれ育った環境に関わらず誰もが野球を観戦できるようにすることです。野球を見れる環境をいくら用意したとしても、その野球が見れる人と見れない人が出てくることは問題です。

 

どんな特性を持って産まれても、どんな場所で育っても、全ての子どもたちが自分の可能性を最大限に発揮し、自分の好きなことを自分の好きなように思う存分楽しみ、自分らしく生き続けられる状態になってほしいと、私は思っていますし、それを目指すのが当塾の存在意義です。

 

当塾の目指すところについて

 

「こどもで居続けられる空間と時間」ってなんだ?と思うと思いますのでここもちゃんと説明しますね。

 

当塾の存在意義「可能性を引き出し、自分らしく生き続けられる状態」にするためには、子どもたちが「こども」でいなければならないと思ったのです。

 

 

え?意味わからないですよね笑

 

さらに深掘り。

 

 

私が教育現場で講師として活動している時、よく思っていたのは「今の子どもたちってませてるな...大人っぽいな...」ということ。大人並の発言をしたり、真面目に静かに授業を受けるような子どもも珍しくないです。

 

「でもそれってホントにいいことなのか...?」と私は思ってしまいました。

 

教育現場では大人っぽい行動や発言をする子供に対して、「〜さんすごいね、そんなこともできるの?これも知ってるの?!」と基本的に褒めることが多いです。

 

そのせいか、子どもたちは「大人のように行動すれば褒めてもらえる。それが良いことなんだ。」と思い、無理やり大人になろうとします。

 

そして、本来こどもが持っている純真無垢さがなくなっていきます。わがままを言ったり、怖いもの知らずで突き進んでいったり、喜怒哀楽をしっかり表現したり。そんなことが減ってきてしまう。

 

特にマイノリティであるボーダーラインの子どもたちは、「周りの人を心配させたくない」とか「まわりと同じがいい」、「相談することが恥ずかしい」などと思い、誰にも助けを求めない傾向にあります。

 

ネガティブに考える。周りに迷惑をかけないようにする。我慢する。ボーダーラインの子どもたちは、まるで大人かのような対応をします。

 

cf:当塾が特化している「ボーダーライン」の子どもたちとは?https://note.com/_michibiki/n/ndd9994f4689b

 

大人を演じる。「これって、自分らしさを潰してないか...?」と私は教育現場で活動しながら思ったのです。

 

確かに講師からすれば、わがままを言ったり怖いもの知らずで色々なものに手を出したりすることで大変さは増します、笑。でもその子どもらしさを活かしながら、レールからはみ出しすぎないようにそっと支えてあげる。導いてあげる。それが子どもよりも”先”に”生”きた先生としての役割だと思うのです。

 

子どもたちが当たり前のようにこどもでいられること。

それはとても大事なことなんだと気づかされた瞬間でした。

 

当塾ではこの「こどもらしさ」を大切にしています。

思いっきり喜怒哀楽を表現して、わがままを言ったり、弱音を吐いたりする空間と時間を授業を通しながら作っています。

 

当塾は”こども”で居続けられる空間と時間を届け、子どもたちの未来を導きます。

 

当塾の教育方針について

 

ここまで当塾の存在意義、そして目指すところについて説明してきましたが、これらを踏まえ、どのような教育を当塾では行うのかについて。

 

子どもの可能性を引き出し、自分らしく生き続けられるようにするには、ただ志望校の合格だけを目指すような塾では、そこまでは達成できないと思います。

 

本気で子どもの可能性を引き出したいのであれば、志望校の合格だけを見るのではなく、子どもの現在の性格や価値観、学校での普段の生活や将来何をやりたいのかなど、「過去から将来にわたって向き合う必要がある」と思っています。

 

そのため、当塾では「①居場所構築による生きづらさの改善(過去)」「②教育環境の改善(現在)」「③後悔のない進路を選択するためのサポート(未来)」の3本柱を教育方針に据えています。

 

これを全て行うのは学習塾の領域を超えてしまっている気がしますが...それで良いんです。

 

受験合格は目的ではなく手段です。

 

何かがやりたい。何かを叶えたい。だからこの学校に進学したいんだ。そのために受験合格を目指すのだ。

 

目先の受験合格だけを目指すと勉強のモチベーションが続かなかったり、返って成績が上がらなかったりするものです。

 

過去現在未来。全てを見ながら勉強をする。そうすることで必然と結果もついてくるものです。

 

当塾は「今だけでなく、過去から未来まで向き合い、導く塾」として、これからも活動していきます。

 

 

 

以上、経緯について長々と話しましたが、こうやって書いても伝えきれてないことはたくさんあるんですよね。

 

もしこの記事を読んで当塾のことに少しでも興味を持ってくれた方がいらっしゃいましたら、お問い合わせなどでリアクションをくれれば追加でお話しします笑

 

当塾のことをもっともっと知っていただけたら嬉しいです。

 

ではまた。

 


 

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