学習塾ミチビキ

【スタッフのつぶやきvol.29】「自分の言葉」を持つこと【前編】

 

 (この記事は、前編と後編の2本でお届けします。)

 

お子さんが、「自分の言葉で」、話す/書くということを求められると、黙り込んでしまう…

そうした姿を目にしたことはないでしょうか?

 

こんにちは。スタッフの渡辺です。

 

非常に暑かった夏が去り、嘘のようにすっかり肌寒くなりましたね。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

 

今日は、お子さんの「自分の言葉」の獲得をテーマに考えていきたいと思います。

 

前編では、言葉の獲得の意義と子さんの成長について考え、後編では、どうすれば「言葉」が育つのかを具体的に考えていきます。

 

 

 

「自分の言葉」を持つこと


普段、お子さんは、「自分の言葉」で考え、表現し伝えるということを、どれくらいしているでしょうか。

Michibikiゼミの生徒さんでも、「言葉の表現」が少ないと親御様からの相談を受けることが度々あります。

 

「『自分の言葉』で考え、表現し、他者に何かを伝えること」ができるというのは、分解して考えると、結構高度なことなのかもしれません。

 

「発達グレーゾーン」と呼ばれる人にとっては特に、この「自分の言葉」を蓄え、表現し、伝えるということが、高いハードルとなることが少なくありません。その背景にある理由も、一概にも、一つに絞ることもできないでしょう。

 

相手の反応に対する不安や、自分自身の表現を外に出すことによって否定的な状況が起こることへの予感が、心に潜んでいるかもしれません。

認知の特性(情報の受け取り方)や、これまでにした否定的な経験、あるいは慎重さなどの持って生まれた気質が関係していることもあります。

 

相手の様子をよく見て、話をよく聞き、「正解は何か」

「何を期待されているか」と考え、「間違っていない」選択、

あるいは「相手の肯定的な反応」を引き出す応答を考え、

自分の気持ちを表現する方法がわからなくなっていく...

自分の考えでの言葉よりも、外的なプレッシャーから、その場その場をやり過ごせるこたえが身についていく...

 

そんなふうに、「自分の言葉」で話すことが、だんだんと難しくなっているお子さんも、もしかしたらいらっしゃるかもしれません。

 

私自身も子どもの頃は、場面によっては上手く喋れない子どもでした。

「発達のグレーゾーン」ではなかったものの、私の場合は特性としての「感覚、勘の鋭さ」を、教員から指摘されました。その結果、「対人への不信感」「考えすぎ」などから、慎重になり萎縮しているところがあるのではないか、と言われたことがあります。

 

そしてまさに、答えの決まっている算数や理科や社会は得意でも、「作文」や「図画工作」など、自分の個性が出る、ある種クリエイティブなものは苦手でした。正解がわからなくて、評価のされ方がわからなくて不安で怖かったのです。

自分自身で振り返ると、自分の言葉や表現を、人が受け取ってくれる、反応してくれる、誰かと繋がれるという、自分の言葉による「効力」のようなものを感じた経験が少なかったように思います。

 

 

大事なのは「正解」だけ?


学校での学習過程には、どちらかと言えば「正解」のある勉強が多いかもしれません。的確に適切に「正解」を答えられるということが、そのまま評価の基準ともなりやすいです。

 

時折、子どもの間でも、「それはあなたの感想(正論ではない、一意見)ですよね」と相手を言い負かそうとするやりとりが見られることがあります。

 

でも、正解でも正論でもない、「あなたの感想」を表現できることこそ、その子の成長には、実はとてもとても大切なことです。

 

その人がその人自身で、様々な人と関わり、感じ、考え、経験することを通して、その人だけの、「自分の内側」の世界は広がっていきます。そこには、正解も不正解もありません。

 

そうした自分自身の内的な世界が豊かに広がっていくことが、その人の成長や「生きる力」へと確かに繋がっていくものだと、これまでに関わったお子さんの姿からも感じています。

 

この記事を書き始めてから、前職時代、ある同僚職員が、ある子の「長所」について「指示に従うことができる」と記述していてなんだか釈然としない想いをしたことを思い起こしました。

また、「言うことを聞かせてください」「叱って従わせてください」と言うような''お叱り''を先輩職員から受けたこともありました。

 

言われたことを聞けるということも大切です。

「正解」がわかるということも大切かもしれません。

しかし、それにも、その子自身が自分で考え「聞こう」という思いを持ち、自分で論理的に考え納得し判断をした上でこそ、意味があるのではないでしょうか。

 

大人が「言うことを聞かせる」、子どもが「言われたことができる」、ということが優勢に「評価」される環境が、その子をどのように育むのか、その中で、自分の足で歩み進んで行くために大切な、「自分で考え、選んでいく力」は、育まれていくのだろうか...

そんな、「子どもを従わせる」ことが正しいとされる職場環境のなかで、「その子が自分で考え、選び、周囲に伝える」力が伸びるにはどうすれば良いのか、自分なりに考え、日々の、小さな関わりを通した工夫をコツコツとしていました。

 

 

 

「言葉」広がりと、「心」の広がり


私が前職時代にしていた「工夫」も、お子さんの一人ひとりと、丁寧に「言葉のやりとり」をし、「状況」や「気持ち」を、なるべく具体的な言葉にして、整理しながら関わるという方法でした。

 

また、その子自身の言葉を少しずつ引き出すこと、そのための「言葉や表現のお手本」をたくさん見せるということも大切にしていました。

子どもの心や知性はスポンジのようなもので、見聞きしたものをたくさん吸い取って自分のものにしていきます。

その子が吸い取ったお手本がその子の豊かな表現になっていくよう、自分自身の表現についていつも意識していました。そういったことを「言葉のシャワーを浴びせる」という言い方もしますね。

 

それだけではなく、「自分の言葉」を獲得し、それを使って「考える」ことは、自分に起こる目の前の一つ一つの出来事に圧倒されず対処していく力になります。

また、躓いた時や傷ついた時に立ちなおり、回復し、前に進んでいく助けにもなるはずです。

 

言葉を知り、自分自身の力で考えるということを覚えたお子さんが、物事に自分自身で立ち向かえるようになっていく姿を幾度も目にしたことがあります。

 

そして、その「自分自身の力」は、それまでの様々な経験と過程に支えられる力です。

ですから、どんな人においても、言葉を得て、それを用いて考え、表現し、何かを伝えるということができるようになるには、それを支える経験が必要だと言えます。

 

その子自身が、一人で感じたことや考えたことを自分で扱える、そんな「自分の内側」の世界が広がっていく過程で、人間にとって大切なものの一つが「言葉」です。

 

人類の発展にも「言葉」が重要だったと考えられます。

ここで少し壮大な話になりますが、これまで人間が文明を築き発展してきたこと自体「言葉」という道具を手にしたことがその要因として大きいのではないかと考えられています。

 

「目には見えないもの」について想像し「これから起こること」を予測し、可能性について考え、また未知のものを思い描きながら「創る」ことで、人類は発展してきたのではないでしょうか。

それから、「言葉」は他者との協力や交渉、情報伝達にも大きな役割を持っていますね。

 

お子さん一人ひとりの中で行われている「自分の言葉」の獲得と使用、そして発達や成長も、この人類の発展の営みと、どこか似ていないでしょうか?

「自分の言葉」を獲得することで自分の内側の世界が豊かに広がっていき、そしてその「表現」の仕方を身につけることで、他者に「伝達」するための方法がわかっていくことで、そのお子さんが自分自身の外にある世界と相互に関わり、「生きていくこと」自体が発展していく。

それは、その子自身が自分の未来を創造し、築いていくことにとって、大きな力になっていくのではないか…ということです。

 

人間の「学習」、あるいは「主体的に考える」こと「選び、判断する」こと、また「発想し、創造する」ことといった、その人が生きていく上で大切な力はそれぞれ、様々な経験の先で得られる能力です。

経験を通して、「心の発達」という過程を経ることで身につくものです。

 

私自身、大学で発達心理学を学んできた経験からも、その「心の発達」を支えていく大きなものの一つとしても、言葉はとても大切なものなのではないかと感じています。

 

「言葉」を育むもの、「言葉」を阻むもの


私たちは様々な経験を通して、「言葉」を獲得します。

 

しかし、経験を通して得るものは、「言葉の獲得」に対して肯定的な影響を持つものばかりではありません。

 

先に述べたように、あるいはこの記事を書いている私もかつてそうであったように、「自分の言葉を持つことができない」、あるいは自分の中に横たわっている言葉を、外に向けて「表現できない」という人もいるでしょう。

私自身も、自分の言葉や表現に関する否定的な経験が積み重なり、自分の言葉やその表現を長い間、萎縮させてきました。

「どうしてそんなこと言うの?」

「変わってるね」

「他の子はそんなこと考えないし言わない」

「口が達者で嫌な子」

と、よく親から言われてことを覚えています。

大人を前にした時に「話せない」ことで、発達検査を受けるよう学校から勧められ検査をしたところ、その結果は平均よりも高い水準であったということもありました。

 

「学習」や「発達」という点においてのみならず、言葉を持ち、それを表現することができること、またそれがサポートされ周囲に受けとめられる環境があることは、その人の「尊厳」にも係るものではないでしょうか?言葉は、その子自身を守り、自分自身で進んでいく力を育んでくれるはずです。

 

その人自身の、「『言葉』を育む」もの、あるいは、「その人の言葉を阻んでしまうもの」について考える視点を持っていくことは、その子自身の生きる力を引き出していく一つの足がかりになるかもしれません。

 

ここまで、「自分の言葉を獲得する」ことにどのような意味があるのかを考えてきました。

ここから、「その子自身が言葉を蓄える」ためにできる具体的な方法について考えていきたいと思います。

それでは、次回に続きます。


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